こんにちは!香川大学学部4年生の田川です。
今回は、笠島地区の建物をつくった塩飽大工について書いていきたいと思います。
塩飽諸島と塩飽水軍
私達の活動場所である笠島地区は、丸亀市の沖、瀬戸内海に浮かぶ本島にあります。この辺りの大小28の島々は、塩飽諸島と呼ばれています。(図1)

図1塩飽諸島の地図 出典:地理院地図 / GSI Maps | 国土地理院
この地では、古くから塩飽水軍が活動し、荷物を船で運ぶ廻船業で繁栄していました。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康や後の江戸幕府など、時の権力者との交流が伺える資料も残っています。「今語り継ぐ先人たちの気概と誇り 塩飽大工」によりますと、水軍とはいっても、武力行使せず、高い造船技術と操船技術をもった海上輸送のプロ集団だったそうです。陸路の物流網が整備されていない時代に重宝され、経済の発展に大きく貢献していました。
塩飽大工
そして、高い造船技術と一緒に発展してきたのが、大工技術です。塩飽大工は、江戸初期~明治時代にかけて讃岐(香川県)と備前・備中(岡山県)を中心に活躍した大工集団のことです。先に挙げた本によりますと、明治5年の戸籍では、塩飽諸島2264戸の内、707戸(約3軒に1軒)が大工を生業としていました。江戸時代初期から、大規模な寺社を建てており、中期以降は、廻船業と並ぶ産業だったそうです。代表的な建物は、善通寺五重塔(香川県善通寺市)、金毘羅宮本宮(図2)及び旭社(香川県琴平町)、備中国分寺五重塔(岡山県総社市)などが現存しています。今回私たちのプロジェクトに協賛いただいている「まつもとコーポレーション」様も、創業者は塩飽大工の流れをくむ香川県本島出身の大工の方だそうです。塩飽大工の存在は、各地や笠島に残してくれた建築からも、それを守っていこうとする人達からも感じることができます。

図2金毘羅宮 本殿 出典金刀比羅宮 | 参拝ガイド 御本宮編
笠島地区に残る特徴
この地区に残る建物の特徴の一つに「持ち送り」があります。軒を出すための梁を支えるために、柱と梁の接合部に取り付ける三角形の部材ですが、装飾性も持ち合わせており、凝った彫刻が施されています。この部材は、笠島地区のなかでも一軒一軒違います。どの家も通りに面しているところに取り付けてあると思いますので、笠島地区にいらしたときには、注目してみてください。

今回のブログで参考にさせていただいた「今語り継ぐ先人たちの気概と誇り 塩飽大工」という本は,私たちが行っているクラウドファンディングの返礼品としても設定されています.普通に購入もできるかと思いますが,ご興味がある方は,ぜひ寄付をお願いします.大切に使わせていただきます.
クラウドファンディングのURL
大学生の挑戦!香川県にある歴史的な空き家の改修を通じて地域活性化に貢献したい! – CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
建築を知る上では、実際に見ることが一番だとはよく言われます。瀬戸内国際芸術祭2025に合わせて、私たちの手掛けた豊島邸もオープンいたしますので、ぜひ本島笠島地区にお越しください!皆さんのご来場お待ちしています!

